「家事を手伝う」から考える主体性

結婚して数年経ちましたが、たまに周りから「家事のお手伝いされてるんですか?うわー偉いですねっ!」みたいなことを言われたりします。

確かに家事をやってはいますが、この「家事を手伝う」という言葉に疑問を感じています。自分が男だからこそ言われることなのかもしれませんが。

例えば、ひとり暮らしをしているひとが自分で出した洗濯や洗い物を「手伝う」ことってあるでしょうか。

それはないですよね。当然、自身でやるべきことなので主体的にやるはずです。(やらないひともいるかもしれません…)

結婚して共同で生活するようになったとしても、家事や育児は自分たちでやるべきことなので「手伝う」ではなく「主体的にやる」ことだと考えています。当事者は「自分たち」に他ならないからです。また、自分ひとりじゃないからこそ、家事や育児を分担することができます。

これは仕事でも同じようなことが言えると思います。

やることを指示されるまで動かなかったり、こちらから質問しないと情報が出てこなかったり、とにかく受け身のひとがいます。

今はどういう状況にあって、必要なことはなんなのか、組織や個人の目的に向けて自分で考えて判断して、何かしら行動できるようになるといいと思います。

自分が組織(プロジェクト)の一員である、という当事者意識が主体的な言動に繋がるんだろうと考えています。

家事や育児、仕事において、主体性を欠いた言動は『サボり』と同レベルだと思っています。


とは言いつつ、そんな自分もどちらかと言えば受け身タイプの人間なので、強い気持ちで立ち向かわないとなかなか主体的に行動できなかったりします…。

そして、今まさに洗濯をサボってこれを書いているわけです。